読む台湾茶

東方美人こぼれ話

ビクトリア女王説は真実か

東方美人の名称の由来について『石錠郷誌』を開くと、英国のビクトリア女王がグラスでこのお茶を淹れたところ、五色に輝く茶葉が水中を気ままに舞い踊る様子を見て感動し、東方美人と命名したとあります。

最も有力とされてきた説ですが、これに異論を唱える研究者がいます。

まず、ビクトリア女王の在位期間である1837年から1901年における淡水税関の台湾烏龍茶の輸出記録を調べたところ、1872年から20年間は輸出の90%がアメリカ向けで、英国へは5%に過ぎなかったことが分かりました。

また同税関の別の報告書には、1896年から1904年までずっと、1897年を除き英国向けの輸出量はゼロだったと書かれていました。当時の資料は多くは残ってないようですが、英国への東方美人の輸出はほとんどなかったことは確かだそうです。

インド紅茶に限る

さらに著者は、イギリスの『Tea in China』中の、ビクトリア女王と中国茶に関する記載を引用しています。

インド皇帝を兼任していたビクトリア女王は、皇室で飲用する茶葉はインド産に限ることを堅持していましたが、それを英国中に推し広めるために、ロンドンの大主教の力を借りて「皇家帝国のために、インド紅茶を飲みましょう。」と"宣導"させようと企てました。

大主教自身も毎日相当な量の緑茶を口にしていたことは認識していましたが、さらに女王が「緑茶の飲みすぎは身体に毒だと聞いている。主教の妻が夫に毎日大量の緑茶を飲ませるなんてあってよいことか。」と口を滑らすと、大主教は自分は女王に利用されたに違いないと確信し始めました。

きっかけは、勘違い?

つまり、ビクトリア女王は「中国茶」を全く飲まなかったのです。ましてや悠々と舞い踊る「東方美人」の茶葉を愛でて中国茶を賞賛したなんてことはありえないでしょう。

ビクトリア女王はきっと、何かの拍子で口にしてしまった「東方美人」をインド紅茶と思い違いして讃えたのであって、女王自らが東方美人と命名するはずがないと、著者は主張しています。

東方美人って、栽培、製茶から名称の由来まで、ほんと謎に満ちたお茶なんですね。

参考資料:『椪風茶』、薛雲峰、宇河文化出版

メールマガジン2004/6/25号より

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